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ざっくりとファミコン世代あたりを対象にしたスーパーメンズウェブマガジンの決定版をまったり目指す桜田であった。

幕末の英雄坂本龍馬は剣豪でありながらも剣術をディスリスペクトすることがあったって話

ハローエヴィバディ。当方は和田末蔵である。今日は「嫌いなもの」について考察する。当方は音楽創作やバンドに属性があるので、日々人々の「好き嫌い」には敏感である。諸君の中にものづくりをビジネスに絡めているクリエイターがいるのならば、是非一緒に「好き嫌い」を考察しようじゃないか。

 

ちなみに話は当方の得意分野で進めていくので音楽が主になるが、何にでも当てはまる話をするので、各自自分のフィールドに落とし込んで読んで欲しい。それではいざ参ろうか。

 

坂本龍馬のディスリスペクト

  

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当方は坂本龍馬を敬愛している。書籍や映画、テレビドラマ、ゲーム、インターネットにおいて坂本龍馬に関連するものには大体触れている。彼の痕跡に触れてみたくなり、生まれ故郷や関連した街なども観光した。好きです、つぼ八。好きです、坂本龍馬である。

 

ものづくり精神に響く言葉

 

坂本龍馬の言葉にこんなものがある。

 

丸くとも ひと角あれや 人心 あまり丸きは 転びやすきぞ

 

解釈の仕方は色々あるかと思う。

 

「円満な対応ができる人格というのは素晴らしいものだが、ときには譲れないというこだわり、心のエッジも必要だ。あまり柔らかく丸い人格はかえってトラブルの原因になることもある」

 

当方はこんな感じで解釈した。遠からずであろう。この言葉にはクリエイターの仕事術のヒントが隠されているように感じるのだ。尖ってる部分をすべてなくすのはイカンザキ!なのである。いや、クリエイターの仕事術ではないな。今人生を生きているすべての人間に一考してもらいたい言葉だ。

 

 

剣豪が剣術をディス

  

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坂本龍馬は北辰一刀流という剣術免許皆伝の剣豪である。北辰一刀流には女性向けの武術である薙刀があるが、戦では刀より薙刀のほうが役に立つということで、彼は薙刀の免許も皆伝してしまう。実にストイックである。

 

そんな彼は修行中に剣術をディスっていたらしい。

 

「剣術なんて大砲はおろかピストルの前でもマジ無意味」だとか「アメリカと戦争になったとして剣術でやり合うとかマジ草生える」だとか「剣術(笑)」という姿勢もあったらしい。剣豪でありながらも剣術を客観視し、無力を知っていたのだろう。

 

全部好きですの君へ

 

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当方は思うのだが、クリエイターやものづくりの現場にいる人間は他人のことはもとより自分の中にある「嫌い」を追求するべきだと考えている。それが前述したような心のエッジとなるからだ。たまに「基本、音楽は全部好きっすね。」みたいな雰囲気イケメンと遭遇するのだが、アイツ何なんだ。一周回って深いのか。それとも一周してないのか。

 

丸くとも ひと角あれや 人心 あまり丸きは 転びやすきぞ

 

 

頭の中お花畑な奴は真のクリエイションなどできるはずがない。

 

 

好きを追求は簡単

 

音楽の話だが「なんとなく流行ってるから聴いてる」「流行ってるだけあって良い曲だしそれなりに感動した」「友達にバンプのライブに誘われて行ったけどなかなか良かった」みたいな感じでそこそこ音楽生活を楽しんでいる人はかなり多い。

 

そういう人は嫌いな音楽や嫌いっぽい音楽は避ける。当たり前だ。音楽を創作するわけでもあるまいし、最低ライン「不快じゃない音楽」を求めていくのだ。そのため、音楽を受け取る側のお客さんは好きを追求しやすい。そう、好きを追求って当たり前だし、簡単なのだ。

 

※嫌いな音楽を選りすぐってわざわざ不快になること楽しんでいる人がたまにいるが奇行種にカテゴライズしてスルーしましょう。

 

嫌いを追求=新発見 

  

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好きの反対は嫌いではなく無関心

 

という言葉を良く聞くが、まさにその通りだ。無関心は絶対的に好きに転じないもはや放っておくほかないのである。しかし問題は「嫌い」なのである。たいして聴いてもいないのに何故かメチャクチャその音楽が嫌いで、どういうところが嫌いなのかはっきりわからないようなことがしばしばある。

 

ファーストインプレッションで「あっ、我こういうの好かん!これは嫌いや!」と思ってしまった嫌いな音楽。そういう音楽こそ心のエッジを研ぎ澄ます人生においてなくてはならない唯一無二の存在になり得るのだ。

 

当方は高校生の時分、DragonAshというバンドが大嫌いであった。ロックの好きを追求、ヒップホップの好きを追求していたので、中間であるミクスチャーというジャンルは大抵嫌いと判断していた。聞くまでもなく嫌いと判断していた。

 

「一夜漬けHipHopとかマジ最悪だわ、ちゃらちゃらしたゴミクズ音楽は今すぐ消滅しろ!!」「TurnUpれでぃおーそう今日もきこえるよー(kj氏の動きを真似)だってwwさっむwww」

 

なんてことを仲間とディスっていた。

 

でも無関心ではなかった

 

だから仲間とディスる面白さを見出して聴き続けた。諸君らも共通のディス対象を作ると仲間との結束力が強まるという経験があるのではないだろうか?これは人間の習性である。

 

そして自分の中にある嫌いの理由を追求した。数年経ってDragonAshは当方の最高のリスペクトを注ぐ唯一無二のバンドに転じていた。

 

神の存在になっていた

 

実話である。人生なんてわからないものである。この事例は稀かもしれないが、嫌いな理由がはっきりしないような音楽あるいは人間に対しては攻撃的に「何故嫌いなのか」という自問自答を繰り返すのがオススメだ。結果的に自分のキャパを広げるばかりか、新発見に辿り着く可能性を秘めている。

 

クリエイターはこれを繰り返していくべきなのではという問題提起をしておく。あとKj氏がめっちゃガンズのバンドT着てるYouTube動画貼っておくw

 

www.youtube.com

 

ディスるにも全力の愛を

 

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話は変わるが「嫌い」の理由を追求した先にあるのが「やっぱこれといって好きなポイントはみつからないな」「何度も聴く気になれない」「いや我、全然この音楽嫌いだったわ」だったりする。

 

やっぱ嫌い

 

大いに結構である。第一印象で嫌いと思ったものがそう安安と好きに転じる事もなかろう。現実そんなに甘くない。でも全力で考察したもの、全力で消化したものであれば、盛大にディスれる権利を与えられるのだ。

 

免許皆伝の剣豪が剣術をディスるのはアリなのだ。

 

最近は消化不良のままライトにディスる人々が増えた。無関心のくせにディスる人。追求していないのにディスる人。嫌いな理由をはっきり言えないのにディスる人。

 

説得力に欠けるただの薄っぺらい文句

 

これは己のために全然ならない。世の中のためにもならない。何の生産性もない。本気のディスリスペクトはまず相手を知らないと始まらないのである。ディスるにも愛が必要なのだ。

 

諸君らがまともな人間であるのなら全ての音楽を好きなることなんてできない。「なんでも聴くよ、嫌いな音楽なんてないし。聴く音楽は全部好きになるね」なんて言う必要はない。でも説得力に欠けるただの薄っぺらい文句を発信していないかどうかを自問自答してみよう。

 

さいごに

 

本稿が考察のきっかけになれば幸いである。音楽をテーマに話したが、これは「人間関係」「マーケティング」「仕事のやり方」すべてに当てはまると思う。「嫌いなもの」「面倒ごと」「クレーマー対応」などを改めて見つめ直してみよう。きっとあなたは成長できるはずだ。

 

丸くとも ひと角あれや 人心 あまり丸きは 転びやすきぞ

 

尖ったままで毒があったままでも良い。すべて受け入れる姿勢は逆に問題を生む。

 

剣術なんて大砲はおろかピストルの前でもマジ無意味

 

追求してこそディスリスペクトに説得力が生まれる。 

  

頭の中お花畑な奴は真の「好きなもの」に出会えるはずがない。

 

さあ、自分の中の「嫌い」と向き合おうぜよ!

 

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